2020.03.27 00:15令和2年 【4月】行事についてこんにちは、今回は4月の正法寺の行事花まつり・勢至まつりについてのご案内です。 花まつりとは、お釈迦様の誕生を祝う法会で、誕生仏に甘茶をそそいで遺徳を讃仰する儀式です。灌仏会や、仏生会、浴仏会ともいわれ、明治後期になって釈尊降誕会、花祭りと称されるようになったといわれています。 日本では4月8日にさまざまの草花で飾った花御堂を安置して、そ...
2020.01.25 09:30浄土宗でお念仏と双璧をなす【円頓戒】④さて、円頓戒④ですね。今回は円頓戒のもう一つの重要な役割について書きたいと思います。ここ最近の投稿で、≪人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、≫という浄土宗旨の一節に表現され、お念仏の環境や状態を整える役割があると述べてきました。ところで、このブログを読んでくださっているみなさん!悪いことを止め(止悪)、善いことを修め...
2020.01.20 10:00浄土宗でお念仏と双璧をなす【円頓戒】②≪人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、≫浄土宗旨の上記の部分は現世利益であり、法然上人の教えからズレるのではないか・・・という指摘も生まれそうしかし、ここに該当するのが【円頓戒】ということで、今回は円頓戒について勉強させていただいたことを書きたいと思います。
2020.01.19 11:00浄土宗でお念仏と双璧をなす【円頓戒】①みなさん、浄土宗のホームページやお寺に掲示してある浄土宗公式のポスターに載っている((( 浄土宗の教え )))ご存じですか?阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
2019.12.24 03:00法然上人の生涯④ ~法難から往生まで~前回のブログにも書いたように、法然教団は拡大を続けたようですが、法然70歳前後を境として、他宗からの法然教団批判が顕在化してくることになります。批判の対象は直接には一部の門弟の「他宗誹謗」「造悪無礙(悪を造っても念仏さえすれば往生には差し障りはないということ)・破戒為宗(むしろ破戒を教えとして勧めること)」といった行動であったのですが、そ...
2019.12.23 03:00法然上人の生涯③ ~下山・弘教から『選択集』撰述まで~廻心によって法然は自身の出離解脱の道については確信を得たものの、「専修念仏」の教えが人々に受け容れられるか否かについては迷っていました。するとある夜、夢に善導が現れ、専修念仏の教えを弘めようとしていることが尊いから来現したと告げられました。この夢中での善導との対面を【二祖対面】といいます。これによって法然は比叡山を下山し、まず念仏の専修を...
2019.12.20 03:00法然上人の生涯②~天台修学から廻心まで~15歳(もしくは13歳)にして比叡山へ登り、まず西塔北谷の源光の弟子となりましたが、源光も浅学なる自分にはとても指導はできないと考え、功徳院の皇円の元に送ることになります。そして久安4年(1148)11月、16歳にして皇円(ただし『別伝記』では叡空)の元で正式に出家受戒を遂げ、それ以後、天台60巻を学びます。周りから将来を嘱望された法然で...
2019.12.19 10:00法然上人の生涯① ~誕生から出家まで~長承2年(1133)、岡山県久米郡久米南町(美作国久米南条の稲岡庄)で誕生しました。父は漆間時国(うるまのときくに)、母は名前は不詳であるが、秦氏の出身とされています。剃刀を飲む夢を見て法然を懐妊し、出生のときには天から二流れの白幡が舞い降りて邸内の椋の木に留まり、七日後に再び天に帰っていったと伝えられています。法然9歳のときに父である時...
2019.12.18 03:00法然上人とはどんな人?長承2年(1133) ー 建暦2年(1212)浄土宗の開祖・祖師にして、日本仏教に大きな転換をもたらした僧侶である。「法然」は房号であって、諱いみなは源空。法然房源空が正式な僧名。幼名は勢至丸であった。諡(おくりな)として円光・東漸・慧成・弘覚・慈教・明照・和順・法爾の八つの大師号が贈られている。※諡とは 大師は偉大なる師、大導師の意味。...