法然上人の生涯① ~誕生から出家まで~
長承2年(1133)、岡山県久米郡久米南町(美作国久米南条の稲岡庄)で誕生しました。
父は漆間時国(うるまのときくに)、母は名前は不詳であるが、秦氏の出身とされています。
剃刀を飲む夢を見て法然を懐妊し、出生のときには天から二流れの白幡が舞い降りて邸内の椋の木に留まり、七日後に再び天に帰っていったと伝えられています。
法然9歳のときに父である時国が、夜討ちを受けて討ち死にしました。その際、時国は息子に対し「汝が敵討ちをすれば遺恨が遺恨を生むことになる。よって、お前は〈今生の妄縁〉を断って、極楽往生・自他平等利益を願え」もしくは「出家せよ」と遺言したといわれています。
これによって法然は、まもなく同じ美作国にあった菩提寺の観覚の弟子となりましたが、観覚はその才能に驚き、比叡山で学ぶことを勧めます。
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